Fearの考察のようなもの(未完成版)
カムバックおめでとうーーーーーーーー!!!!
この時を待ちわびていたよ!!!!
今回もサイコーな仕上がりでカムバック!!
どこまでもブレーキをかけるつもりがないセブチ、かっこいいです。
今回も大したものではありませんが、いつも通りMVについてあれこれ考えてみようと思います。
毎度申しておりますが、これはただの趣味です。
新曲が出る度に考察しやがって、うるさいな。って思う方もいらっしゃると思いますが、これが私の楽しみ方です。
そういう方でこの記事を開いてしまった方がいるならば、今すぐにブラウザバックを。読んでいて嫌な気持ちになった方もブラウザバックを。
出来るだけ言葉や表現には気をつけて書き進めますが、限りがあります。
そして、記事の内容はもちろん正解ではなく「一意見」です。大きな独り言です。
もし、わたしの大きな独り言を聞いてくださる方がいらっしゃいましたら、この先もお付き合いお願いいたします。
さて、前回の記事の中で考察リタイア宣言をしましたが、やりたくなっちゃったので、やりますね。(手のひら返しが秒)
今回のMVも前回の記事の中で書いたように、楽曲の印象や歌詞を実直に表現している印象を受けました。そこがrigend filmが作るMVの特徴なのかもしれません。(色味が死ぬほど綺麗なのも良いですよね!)
韓国のMVといえば、クオリティーの高さと、MVそのものが宣伝手段になるSNS時代であることをよく理解しているという点が日本とは異なりますよね。
MVは付属品ではなく、曲のイメージを殺すことも生かすこともできる重要な要素であることをみんながわかっていて、大事にしているのが羨ましいです。日本にもたくさんいいMVがありますし、逆に韓国にだって「なんだこれ」ってMVもありますから、単純に悪い、良いとは言い切れませんが、今は韓国の方が優勢な気がしています。
韓国のMVはざっくり、二つのパターンに分けることできると思います。
一つ目は、楽曲の歌詞やイメージを大切にし、世界観を実直に描くパターン。
二つ目は、楽曲の歌詞やイメージとは別に新たに物語を作っていくパターン。
仮に一つ目をAパターン、二つ目をBパターンと呼ぶことにします。
例えば、スミチャはBでしょう。HITは完全にAパターンで出来ています。しかし、FearはAパターンを軸にしながら、Bパターンでもあります。つまり別の物語が同時に描かれているんです。
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待って、、、凄いややこしい。
一回チョンウォヌをはさみましょう。頭を落ち着けて。
長い前置きになりましたが、ここからが本題です。
Aパターンに当てはまっている部分、Bパターンに当てはまる部分に分けて書くことにします。
Aパターン(楽曲の歌詞やイメージを大切にし、世界観を実直に描くパターン)のテーマはまさにタイトル通り
『毒』です。
韓国人にとって、毒とは「自らを自らで殺めるもの」と言う感覚があるのではないかと推測します。朝鮮王朝時代のお話をドラマでみていると、失態を犯せば(王族は)毒を自らで飲み死んでいきます。日本の場合は切腹ですかね。
毒はどんどん自分の身体を蝕み、苦しくなって来た時には手遅れです。
美しいものには棘がある、とよく言いますが棘のように目に見えて恐ろしければ少しは自衛もできそうですが、どうでしょう、毒って美しさしか目に見えないじゃないですか。毒きのこが良い例かもしれません。
楽曲が進むに連れて毒に犯されていくジョンハンさん・・・。
この時はまだ健康的な美しい人。
血色感はほぼないが、リップに色があることでまだ良い。
でも最後にはもう唇に色はなく、毒に身体を蝕まれ、血色感は失せ、目も虚ろで、自分の唇がどこなのかわからずリップは唇から大きく外れている状況。
色を失ったから、とにかく派手で自分の存在を証明できるような真っ赤なリップを手にとったんではないでしょうか。
このMVが示した「毒」とは自分の中にある「欲望」なのかもしれません。
ジョンハンさんの場合(役として)必要以上の美しさを追い求め欲望が理性を飲み込み自分自身のことさえ、理解できなくなりコントロールもできなくなってしまったような感じですかね、、、。
毒は自らが生み出し、自らを殺していくっていうおどろおどろしい話なのかなと解釈しました。
箸休め的にどうでも良い話というか、しょーもない話させていただきますと、
このシーンのジョンハンさん見て、
赤シートやん・・・・・。って思っていました。
(そんな同士カラッとはいない???)
赤リップが見えないように計算された色味のライティングだと思うんですよ。
赤シートも隠したい文字を真っ赤なペンで書くと透けて見えてしまうから、オレンジ色のペンで書くじゃないですか、それじゃん!って思いました(それじゃん、じゃない)
いや、本当にしょーもない。
ちなみに、(頭がいい)ほとんどの人がSARASAのオレンジ使ってましたよね。
思い出ポロポロ
箸休めを終えてBパターン(楽曲の歌詞やイメージとは別に新たに物語を作っていくパターン)として描かれた、まったく別のストーリーについても考えます。
Bパターンのテーマは『未来』です。
MV中何度も出てくるこの謎の物体。
「毒」との関係性は全く見えない、がこのMVのキーポイントなのは間違いないだろう。そんなことを考えていた時、ふと、彼の顔が浮かんだのです。
そう、彼です。
いや、いや、でもそんなこと、、
いや、しかしワンチャンある・・・・?
いくらセットが近未来的だからって言ったって・・・。
そんなオカルティックな話、持ち込んでくるか??と悩むのですが、ですよ、そういうことにすると話の辻褄があってくる(気がする)んですよ。
もし、ウォヌが未来と今を行き来できる人、タイムマシンの運転手だとします。
彼だけ身なりが少し違うことや
ディノをみるスンチョルやホシくんを見るミンギュ
時計のカウントダウンが終わり、向かい合うスングァンとスングァン。
(暗すぎて少し自信がないですが・・・。)
などの意味深なシーンの、説明がつきます。
ディノちゃんをみつめるスンチョル。ディノちゃんが身に着けている黒スーツではなくやけに派手なジャケットを羽織っています。
この服装の時、ウォヌが乗るタイムマシン(的なもの)の近くにいるカットが多いことから、このスンチョルさんは未来から来た人と仮説を立てたいです。ミンギュもスンチョルと同じ側にいるので、未来からの人とします。さらに、過去もしくは今のスングァンと、未来のスングァンがご対面しているとすれば、納得がいきます。
なぜ、過去からではなく、未来なのか。ですが、これはなんとなくです。近未来的なセット、派手な服装から過去ではないだろうと思い未来からにしています。
彼らは未来から来てなにをしているのか?と言うのはこのMVの中だけではわかりません。次の作品でなにかわかるのではないかと思っています。リパケになるのか、またデジタルシングルを出すのかわかりませんが、An Odeのお話は完結していないはずです。MVの終わり方にタメがあって、次に引き継ぐための余韻のようなものを感じたのが理由です。
わからないと言いながらもなんとなくこうではないかと言うのがAn ode1、An ode2から予測できる気がします。
An Ode2にて
And the day came when the risk to remain closed in a bud became more painful than the risk it took to blossom…
訳は『その日はやってきたのです。
大きな花を咲かせるよりも、固いつぼみのままでいる方が、ずっとつらく厳しく感じる日が』
と言う言葉が朗読されます。
花は蕾から花を咲かせ、時が来れば枯れ、いずれは蕾に戻って、また花を咲かせて、、、、と繰り返していきます。
一度咲いてしまえば美しさから多くの称賛の声を聞くことができるために心地いい時間を過ごすでしょう。なんでもない蕾の姿でいる間称賛の声を聞くことはありません。一度心地いい体験をしてしまうと、それがない時間が退屈で嫌で堪え難いものになるでしょう。
この詩の解釈は色々だと思いますが、私の意見はこんな感じです。
アイドルにとって花ひらく瞬間はあったとしても一瞬の出来事で、入れ替わりが激しい業界でトップを掴んだまま維持するのは相当な力が必要です。
王冠らしきものをかぶったホシくんは常に銃口を向けられて、ついには撃ち殺されてしまいました。
せっかく咲かせた花は枯れ、蕾に戻ることになります。
一度花開いた時の喜びや向けられる視線を覚えているから、蕾に戻った時、虚しさに耐えられなくなるのかな、、と。
(花が咲いた時に得た感情が、状況が変わったことで欲望となり、毒となり、自らを滅ぼす。そんなストーリーもありかもしれません。)
未来の世界を見てきた(ドギョム、スングァン、スンチ、ミンギュ、ウォヌ・・)が
自分たちが見たものを伝えに来ているのではないか。と言うのが予測です。
しかしこの予測は、今までに供給された作品の節々を拾い集めただけなので、デタラメを言っている可能性の方が高いです。
そのためこのブログのタイトルに「(未完成)」をつけ、全力で予防線ひいております。その結果まどろっこしいタイトルができあがりました。
まあ、なんにせよ、オタクのたわごとだし!!!
簡単にまとめると、毒パートと未来パートが同時並行で進んでいる。と考えました。と言うお話でした。長かった。
ここで 少し、MVから離れ曲の話をします。
ナーバスな話になるので、お気をつけください。
Fear冒頭でジョシュアが「永遠なんてもの決してないと、わかっていても終わらせることもできない」YouTube和訳と歌います。
このパートをMV初視聴で字幕もつけずに見ていた時、歌詞が英語なのか韓国語なのか一瞬わかりませんでした。ボソボソっと歌うし、ここだけテンポが3分間の中で異質的に早いですよね(ラップとも違う)。きっと独り言なんでしょう。
この楽曲を大人の狂愛的恋愛話と解釈していまして、ここの部分をそうとも取れるし、また別に心の声が漏れてしまったとも取れる気がします。(オブラートに包みながら話しているために全然伝わってない気しかしない。)
実際のことはウリジフニに聞いてこいって感じですが、聞きにいけるわけでもないので、勝手なことを言います。いつだって勝手だけど。
なんとなーーーーく、やっぱり少し先のことを考えてしまう瞬間があります。
心配したとてどうしようもないですし、いま憶測で不安になったり傷ついたりするのは無駄な労力だとわかっていながらも、どうしても頭をよぎることがあります。
何かを達成できれば保証になると言うわけでもありません。「信じる」なんて言葉、世界一阿保らしい言葉だと何度も痛感させられてきました。
だから単に「なんでこんなに好きになっちゃったんだろうな〜」と自分を責め、この気持ちをやり過ごしています。複雑な感情が渦を巻いてしまうこともあるけれど、夢中になれる人たちに、枯れかけた心を癒してもらえる音楽に出会えて本当に幸せだな〜と思うのもまた事実なんですよね。
セブチが大事に思いを込めて作ったこのアルバムを私も大事にしたいと思います。
まだ、アルバムを自分の中で消化するのに時間がかかっていて、全然他の人の意見を取り入れられていません。出来るだけはやく消化して、たくさんいろんな人の意見をみて、楽しみたいと思います。
ちょっとしんみりしちゃいましたね。
でも、吐き出さないとずっと心に居続けるし、それこそ毒(ガチの毒)だったので、言っちゃいました。このことについてはオタクの数だけ意見があると思います。肯定してくれとは言いませんが、否定はしないで欲しいです。
なんにせよエゴですが。
私のブログ史上もっとも長いのはスミチャの記事なのですが、それを超えてしまいました。こんなに長い記事を最後まで読んでいただけたことに感謝します。ありがとうございました〜!!
では、また!
誤字など、あったら訂正しますが、一旦アップ
(追記)
続き書きました
tatakana10ww.hatenablog.com